2014年1月27日月曜日

歌詞が面白い。よく読んでみてください。日本人にもインドネシア人にも受けいれられるはずでした。

ジャカルタ音頭も
大瀧さんの「Let'sOndoAgain」も「ナイアガラ音頭」もそうなのですが、とにかく、楽しい、面白い、笑ってしまう。

さらに、
一度聴いたら、忘れられないようなことができないかと考えていました。
とても難しいですが、何度聴いても飽きない。

この飽きさせないには、さまざまな仕掛けが必要であることがわかっていましたが、
それをどのように散りばめていこうか数ヶ月も考え続けていました。
たとえば、歌詞で言えば、

インドネシア語の入門編になればいい。日本語の入門編になればいい。
なぜなら、お分かりの通り、日本人とインドネシア人に愛される歌にしたかったから。

また、
ここでは、何を言っているのだろう、もう一度聴きなおしてみたい。
ここのハーモニーが気持ちいいから、もう一度聴いてみたくなる。などなど

アレンジで言えば、メロディが細かい仕上がりになっているから、
バックのパッドは、長めの白玉でいこうとか、

また、より正確にこの歌詞を聞かせたいから、ということで、リフレインでは、伴奏を止めて
パーカッションだけにしてみたり。

いろいろ仕掛けをしました。

上記のことはかなり、専門的な話になってわかりにくいかもしれませんが。
ここまでヒットしてくれた歌なので、それにはこのようなものが隠されていたということを
お話したかったわけです。



さらにつづく!

2014年1月23日木曜日

ジャカルタ音頭のイメージはここにあったんです!

先日、大瀧詠一さんが、亡くられたという話がありました。とても残念です。
実は、この方僕にとってとても大切な人の一人です。

なぜなら、ぼくをこの音楽にのめり込ませてくれた方々の一人だったからです。

彼がプロデューサーとして世に出てくる頃の話は、あまり知られていないと思いますが。

たとえば、その昔松田聖子の歌を作ったりもした。
彼が手がけたアルバムがその当時、業界では驚異的なたくさんのセールスを記録した。

また、ラッツアンドスター(デビュー直前の頃)を起用して、歌わせたり、その頃の

仲間(山下達郎や佐野元春その他)を起用して当時のニューミュージックというジャンルの中でも、目立った存在だった。

さらに、昔のYMOのメンバーなどの、今思えば、豪華メンバーが参加

詳しくは、このウィケペディアにも載っている。
大瀧詠一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%80%A7%E8%A9%A0%E4%B8%80

アルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』
http://ja.wikipedia.org/wiki/NIAGARA_TRIANGLE_Vol.1
アルバム『LET'S ONDO AGAIN』(レッツ・オンド・アゲン)は、1978年11月25日に発売された大滝詠一のアルバム。正確なアーティスト名義はNiagara Fallin' Starsとなっているが、一般的には大滝詠一のオリジナル・アルバムのひとつとして挙げられる。


この頃の自分は、大学生であった。青春時代であった。高校の友達とは違う友人にも出会い、とてもたくさんの刺激を受けていたころです。

ここからが、本題ですが、「ジャカルタ音頭」は、彼のアルバムが元になり、出来上がったのです。
長くなるので、ジャカルタ音頭への繋がりは次回にいたします。

2014年1月7日火曜日

心が押しつぶされそう辛い時に出来上がった「Lonely Night」

さて、次にやはり、思い入れがある歌の1つ「Lonely Night」

これは、離婚する、しないという時に、原型が出来上がった歌の1つでした。本当は、もっと前にあったのですが、格好ばかりを追いかけていた時の歌は、なんの説得力もありませんでした。

会社から帰ってきても、妻は、背中を向けて寝てしまっている。働いて来た自分は何のために生きているのだ?

自分は、家族のためになっているのか?
無力感や孤独感を強く感じて、もう生きるのもイヤになる寸前。

こんなときには、パチンコやギャンブルに走る。または自殺をしたくなる。
その道に半分足を突っ込んだ時期もありました。

でも、何とかしたかった。そんな時に出来た歌です。

https://soundcloud.com/kazu-jakarta/lonely-night-in-jakarta

これが、ジャカルタに来てやはり、毎日の仕事に追われ、何のために生まれてきたのか?本当にこのままでいいのか?

病でベットの上で寝ているときや仕事のストレスに心が引き裂かれそうになった時に、このような歌詞になりました。

2014年1月6日月曜日

自分でも泣いてしまうことがある歌「Together」

この歌「Together」は、自分自身にとっても、とても思い入れがある歌です。
なぜなら、15年以上も前にすでに、この歌はできていました。

自己啓発のセミナーを受けていた頃に、その皆のために、皆といっしょにレコーディングをして、出来上がった歌だからでした。

この頃は、僕自身も「右や左」に迷っていた時代でした。自分は何をしたいのか?本当にしたいのか?したいけど、大変だからやりたくないのか?今の暮らしを変えてまでもやりたいのか?などなど。

セミナーを受講していた皆も、きっと同じだったんでしょうね。
そこで、僕はとてもたくさんのものを失いましたし、たくさんのものを得ることができました。

人間の深い部分(人は本当は心の中で何を考えているのか?何をしていたいのか?など)、簡単には言い切れませんが、その入り口みたいなものを見つけることができました。

これを知っていく過程で、出来上がっていった歌詞であり、メロディでした。
もともとバンドを組み、作曲もやっていましたが、何一つ満足していませんでした。そのバンドのメンバーの一人が、このセミナーを紹介してくれましたが、こんなことを手に入れるとは、思いもしませんでした。

良かったことの1つに、自分の作る歌が変わっていった。表現の仕方が変わっていった。その中で、自分がこんなに一生懸命になっていたのが久しぶりでした。今思えば。

これがよかったのでしょう。自分だけのことを思えば。
さまざまな方には、大変なご迷惑をおかけいたしましたが。

人生で一番めちゃくちゃをやっていた時に、出来上がった歌なのです。
なのでしばらく自分で作って歌っていますが。歌いながら何度となく泣いたことか。

それは、まるでこの歌が僕に語りかけてくれているように思うから。

そして、このセミナーを体験したことで、一番びっくりしたことがありました。
迷っている時にでも、僕を見ている人の中に、本当に僕を気にしてくれている人が居た。
またごく近くに居てくれていた人は、実は味方ではなかった。


今思えば、20年も以上も経って言えることは、この僕の見方ではなかった人も、
いろいろ人生があって、その方々と分かり合えなかったんだとも思えるようになりました。

このことについて話をすると本当にきりがなくなりそうです。それだけの濃くて・深い体験をしたからです。


また、このような気持ちが、少しでも僕のインドネシアの友達にも分かってもらえたらと想い、インドネシア語バージョンも作ったわけです。

インドネシアに来てこの原点に立ち戻り、もう一度出直したいと想い、アルバムの中に入れました。

この文を読んでいただき、興味をもっていただいた方は、是非この歌を聴いてみてください。
後日歌詞に興味がある方がいらしたら、後日公開いたします。お楽しみに。
https://soundcloud.com/kazu-jakarta/together-japanese-version

つづく。



2014年1月2日木曜日

「ジャカルタクリスマス」現地採用物語

今回から、回数を分けて、2005年の末に出したアルバム「ジャカルタ音頭」の楽曲について、お話をさせていただきます。

その中にある「ジャカルタクリスマス」についてから

この曲は、当時作った曲で、当時***「ローカル採用」***で来ていた女性との恋物語でした。当時からクリスマスの装飾は、ジャカルタのあちらこちらで華やかでした。

そんな中、次に採用企業が決まらずに、日本に帰っていく女性と付き合う男性のラブストーリ。

次の出会いや再会させるようにしたくて、マイナー調ではなく、このようなメジャー調で、レゲー調アレンジになりました。

描きたかったのは、この男性もいつ会社から首にされるか分からない、という不安も多分にあり、
帰るなとは、言えない、言い切れない切ない気持ちがあったということです。

当時2000年頃から始まる、自分の体験「いわゆるローカル採用」の自分とダブル気持ちもあり、この心境を描きたかった。さらに女性からは、口には出せない「なんとかして欲しい」ということも言いたかった。

今でさえ、日本企業がたくさん来るようになる以前の状況の中であった、日本人のカップルの話です。
***ローカル採用とは、日本からの採用ではなく、現地で雇用される形態を指します。ですので、給料や待遇は、日本での採用に比べ、雲泥の差で違う。しかも1年単位の雇用関係を結びます。ひどいところになると、その1年でさえも正式な契約を結んでもらえず、中途契約解除もある、厳しい雇用関係です。


歌はこちらから、視聴できますので、クリックしてください。
https://soundcloud.com/kazu-jakarta/jakarta-christmas

つづく。