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2018年9月16日日曜日

僕にとってのJ-POPS。その5 「J-POPS」が持つ別の可能性


「J-POPS」が持つ別の可能性

今考えているのは、ヨーロッパやアメリカポップス・ロックではない、日本のポップスやロックをインドネシアで広めたい。教える機会があれば、これを伝えたい。


なぜなら、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、五輪真弓さんの「心の友」やキロロの「未来へ」が、大学生などを中心に、インドネシアの若者の心に響く歌になっているからです。

そんな歌を、もちろん僕もたくさん作っていきたいですが、彼ら自身で体験する、「J-POPS」が持つ豊かな感受性(地理的な要因から来る)を含む創作体験で、日本風の文化を今まで以上に感じることができます。
精神的に新しく豊かな精神世界を広げることができるからです。

もちろんこの理由だけではありません。古事記が書かれたぐらいからある、日本人が持つ精神性や天皇制ぐらいまで含めれば、日本文化全体を指すことになってしまいますが。(日本人が持つ素晴らしい、世界にも誇れる特有な精神性)

少しだけ解説すると
日本に生まれ育った日本人が体験する「四季から来る精神的豊かさ」が反映されている「J-POPS」。この精神性をインドネシアでは、どうしても実感できないからです。

そこで、このように考えると「J-POPS」が持つ別の可能性が、インドネシアに出てきました。

たとえば、昔から言われている日本の歌には「起承転結」があり、物語があると!
もちろん僕ら製作者側は常にこれを反映させています。

この日本スタイルが好きなアーティストや楽曲プロデューサの方とも、タッグを組んで、さらに日本とインドネシアの素敵なパートナーシップを今まで以上に強くしたいと考えるようになりました。

ここ数年は、有名ロックグループの「J-Rocks 」ともさまざまなコラボレーションを通して、日本での成功を念頭にいつも話し合いを続けています。



つづく




2018年9月6日木曜日

僕にとってのJポップス(J-POPS)インドネシア。その4


そこから…

結婚しても、DTM(ワークステーションキーボードコルグのM1やデジタルミキサー)を利用しての作曲家の道を探る。離婚などの人生の分岐点を迎え、しばらくアクティブな活動を停止。
兄の仕事を手伝いにインドネシアへ。
ジャカルタラグラグ会に入会して、インドネシア音楽に触れて、刺激を受ける。インドネシア語もインドネシアポップスから学ぶ。

インドネシアポップスのインドネシア語の歌詞を日本語に訳して、Youtubeを開設。

インドネシアアーティスト、J-Rocks, GIGI, Afgan, Cakra Khan, Nidji, FATHUR, Zivillia などのカバーをする。


次回からは、自分のオリジナル曲を使ってのJ-POPsを解説予定

2018年9月4日火曜日

僕にとってのJポップス(J-POPS)バンドから「作曲家」その3


アコギでオリジナルを作り始めてから、バンド用にロックぽいものを作ってからも、さまざまに試行錯誤していた曲作り(歌詞も含め)。

行き詰まりながらも、作曲の専門学校に行き、作曲家の事務所「アーティストランド」に入るチャンスが訪れた時代もあった。

この行き詰まりは、楽器が思うように弾けないことから、納得できるアレンジができない悩みまでさまざま。歌も自分なりの物が歌えず、そんな不満だらけの時代でもあった。

<自己啓発セミナーで変化>
バンドのドラムパートをやってくれたメンバーである、「野呂」君がいた。彼から、このセミナーの話を聞いて、あまり迷いもせずに、このセミナーを受けた思い出がある。当時は、代々木にあるビルの最上階の講習会場で集中土日の二日間。

彼からは、このセミナーを受けたら音楽が変わると言われて入会。
5年程度関わった後に確かに、さまざまに状況が変わり、音楽も生き様も変わった。
今思えば評判は良くないが…

つづく

2018年9月1日土曜日

僕にとってのJポップス(J-POPS)そして大学時代。その2

ロックに刺激を受けて

大学では、PA (舞台に上がる同期たちの演奏するメンバーの裏方)の部活動に入ってしまっていた。

今から思えば、自分に素直になりきれず、自信も持てずに、ずれてしまっていた時代があった。だから就職時に、音楽スタジオにアルバイトに行こうとしたり、仕事を求めていた事もあった。

そのようなことを電話の向こう側で、面接をしてくれた先輩に見抜かれてしまった思い出も今でも覚えている。

一方では、ライブ活動を続けていた。アコギのバンドは変わらず、そしてこの辺から日本のポップスやロックに目覚めて行った。

大学を卒業してからも、仕事をしながら、ソロやロックバンドで、渋谷や四谷、三軒茶屋のライブハウスに出演していた。

でも精神的な弱さもあって、自信ある作品は、数少ない。もんもんとしていた!

一方で、バンドのメンバーは、プロであり、ドラマーもその仕事をして、ギターは若く、大学卒業したばから、ベーシストは、スタジオでエンジニアの仕事をしながら、アレンジもしたり、キーボードリストもその仕事をしており、いま思っても、贅沢メンバーでした。
本当はまったく関係ないのが、舞台に上がりながら自己嫌悪になっている自分も居て、
自分自身に不満が溜まっていた時代でもあった!

そんな自分は自分自身から器が小さく見えて、舞台に上がっても、ボーカリストでありながら、自信がある素振りはまったく見せていなかったのではないでだろうか。

この時に知り合って居るミュージシャンは、素晴らしい才能で、今では、超一流のギターリストになり、大物ロックバンドのサブメンバーとしても大活躍している人がいる。

その人の姿をテレビやビデオで見るとつい若い頃のことを今でも思い出す!
当時にメンバーに勧められて、「Police」や「Steely Dan」を聴き始めた。
でもこれば今の自分を作っているような気がする。もちろん、一番影響されているのは、今でも現役の「桑田佳祐」氏本人や彼が作る個人バンド「桑田バンド」、もちろん「サザンオールスターズ」である。

本当に聴きまくり、さまざまな楽器の使い方アレンジの方法を教わっていた。また、自分が以前こだわった「音頭」関連であるが、これはまったく別に「大瀧詠一」氏である。彼の周りに居た「佐野元春」氏、「山下達郎」氏その他、大瀧詠一氏が始めたプロジェクト「ナイアガラ」から出て来た音楽家にも、影響を受けている。

つづく

2026年「Breaking borders with sound and words — it’s a journey with no end.(終わりのない旅)

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