「音楽は、僕の人生を支えた!」2
「音楽は、僕の人生を支えた!」1の続きから
中学校2年の時から、ゆるい感じでギターを弾き、フォークソングのコピーから入って,その内に、オリジナルを作り始めるという、女ノ子にモテたいからという、お決まりのパターンでした。高校時代に始めて歌を作り、アコースティックでの3人編成のバンドを組んで燃えていました。
また、大学でも続け、さらに卒業しても、ぶらぶらしながら、それなりに音楽を続けていました。ソロでやったり、ロックバンドも始めました。
20代後半からは同時に、作曲の勉強や発声の勉強もしたこともありましたが、どうも自分が納得いく歌が作れない、歌えないなど、悩んでいました。そこへ、当時一緒にバンドを組んでいた、高校からの友人からの紹介で自己啓発のセミナーを受けることになりました。このセミナーでは、いろいろ危ないこともありましたが、ここでは止めておきます。ただ気付かしてもらったことがありました。人と心を割って関わってこなかったことに、そして、そこから出てくるものは、人の心に届くはずがなかったということもわかりました。人の本音の部分を見るように努力もしたし、そのために、つらい目に合わせてしまった人もいたし、友人関係も上手くいかなくなりました。
但し、このことがあって、目が覚めたことがたくさんありました。ある意味で、生まれ変われた期間でした。今思えば。つづく
中学校2年の時から、ゆるい感じでギターを弾き、フォークソングのコピーから入って,その内に、オリジナルを作り始めるという、女ノ子にモテたいからという、お決まりのパターンでした。高校時代に始めて歌を作り、アコースティックでの3人編成のバンドを組んで燃えていました。
また、大学でも続け、さらに卒業しても、ぶらぶらしながら、それなりに音楽を続けていました。ソロでやったり、ロックバンドも始めました。
20代後半からは同時に、作曲の勉強や発声の勉強もしたこともありましたが、どうも自分が納得いく歌が作れない、歌えないなど、悩んでいました。そこへ、当時一緒にバンドを組んでいた、高校からの友人からの紹介で自己啓発のセミナーを受けることになりました。このセミナーでは、いろいろ危ないこともありましたが、ここでは止めておきます。ただ気付かしてもらったことがありました。人と心を割って関わってこなかったことに、そして、そこから出てくるものは、人の心に届くはずがなかったということもわかりました。人の本音の部分を見るように努力もしたし、そのために、つらい目に合わせてしまった人もいたし、友人関係も上手くいかなくなりました。
但し、このことがあって、目が覚めたことがたくさんありました。ある意味で、生まれ変われた期間でした。今思えば。つづく
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