先日、大瀧詠一さんが、亡くられたという話がありました。とても残念です。
実は、この方僕にとってとても大切な人の一人です。
なぜなら、ぼくをこの音楽にのめり込ませてくれた方々の一人だったからです。
彼がプロデューサーとして世に出てくる頃の話は、あまり知られていないと思いますが。
たとえば、その昔松田聖子の歌を作ったりもした。
彼が手がけたアルバムがその当時、業界では驚異的なたくさんのセールスを記録した。
また、ラッツアンドスター(デビュー直前の頃)を起用して、歌わせたり、その頃の
仲間(山下達郎や佐野元春その他)を起用して当時のニューミュージックというジャンルの中でも、目立った存在だった。
さらに、昔のYMOのメンバーなどの、今思えば、豪華メンバーが参加
詳しくは、このウィケペディアにも載っている。
大瀧詠一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%80%A7%E8%A9%A0%E4%B8%80
アルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』
http://ja.wikipedia.org/wiki/NIAGARA_TRIANGLE_Vol.1
アルバム『LET'S ONDO AGAIN』(レッツ・オンド・アゲン)は、1978年11月25日に発売された大滝詠一のアルバム。正確なアーティスト名義はNiagara Fallin' Starsとなっているが、一般的には大滝詠一のオリジナル・アルバムのひとつとして挙げられる。
この頃の自分は、大学生であった。青春時代であった。高校の友達とは違う友人にも出会い、とてもたくさんの刺激を受けていたころです。
ここからが、本題ですが、「ジャカルタ音頭」は、彼のアルバムが元になり、出来上がったのです。
長くなるので、ジャカルタ音頭への繋がりは次回にいたします。
在イが20年を超えた「Kazu」がインドネシアで発信する音楽通信ブログ。
インドネシアと日本を変える男!音楽を通して両国の発展になるようやり続けます!
プロジェクト「ハードゥア<ProjktH2>」やソロでのパフォーマンスや音楽制作プロデュース活動。
J-POPs「ジャカルタ音頭」は「プロジェクトハードゥア(ProjktH2)」というグループによって作られ、歌われています。
私「Kazu」と忍者「服部」。僕が作曲・編曲、彼が歌詞担当。ジャカルタで作られたローカル初の「ご当地ソング」です。
アレンジは、インドネシア人が大好きな「ダンドゥット風アレンジ」。さらに日本語と基礎インドネシア語が上手い具合に混ざった仕上がりです。
(WA) +62811110008232
Management Office Kazu
2014年1月23日木曜日
ジャカルタ音頭のイメージはここにあったんです!
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